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2007年の日々 Archive

行く川の流れは絶えずして

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気がつけばクリスマスも過ぎて、はや年末。
今年は、今までになく色んな人との出逢いが多かった一年だった。
仕事や趣味の上でも、またブログやネットを通しても。
ネットに関しては、個人として最初に掲示板主体のホームページを立ち上げたのが8年ほど前のことになる。釣りの仲間内だけで遊んでいたのだけど、そういうのはやはりすぐに飽きた。仲間内だけのナァナァでやるならネットである必然はなく、最初は物珍しいから面白くてするだけで、熱が冷めれば会ったときや電話で十分コト足りるではないかというごく当たり前の結論に至るものだからだ。そして仕事やホームページでいくつかの曲折を経て、ブログを始めたのが2年前。以来、好きなペースで好きなコトを好き勝手に書き散らしているだけなのだけど、多くの素敵な方々と知り合えたことが大きな喜びである。
ブログのいいところは、ひとつの事象においていろんな視点や考え方があるというのがハッキリと目に見えて分かることと、会ったこともない人々と価値観を共有できたり言葉のやり取りを楽しんだりできることだろう。いただいたコメントや新しい出逢いにワクワクドキドキしたり、あるいは一喜一憂したり、はたまたブログを通して新しく仕事をいただいたりもして、すごく楽しい日々を過ごさせていただいている。いつもコメントや拍手をいただける方には衷心から感謝申し上げたい・・・有難うございます。
そしてもちろん、コメントや拍手はいただけないもののよくご覧いただいている方々、あるいは通りすがりにちょっと興味を持ってご覧いただく方々にも、改めて感謝を申し上げたい。
人間関係のあり方というのは、実際に対面するのもネットでするのも基本は同じだと思っている。
他人の信用を得るということは、難しいことである。
そしてさらに、得た信用を維持することは、もっと難しいことである。
そのことをいつも肝に銘じていたい。

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冬の夜の

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美味し食、美味し酒。
久しぶりに夜の街を徘徊して、堪能してきた。

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水景慕情

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用事で、久しぶりに親父と一緒に福井まで足を伸ばしてきた(釣りに非ず)。
右京・嵯峨野に住む親父の家から左京・大原を抜け、若狭へと至る鯖街道を経て三方五湖のひとつ、日向湖(ひるがこ)の畔にある知り合いのところまで片道二時間そこそこの、のんびりドライブである。
三方にはボクの家系の本家があるのだけど(親戚のことは以前記事にした通り)、今回は寄らないことにする。大した話もない上に、寄るとなると田舎のことだから親戚一同で話が非常に大袈裟にややこしくなってしまうからで、そういうのは親父もボクもまったく好みではないからだ。

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月と、ちよこれいと

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夜、独りで外を歩く。
冬の始まりを告げるようにピンと冷えた空気が頬に痛い。
しかしむしろそれが心地よくもある。
空には十五夜を二日過ぎた立待月。
雲がかかっていなければ、どこからでも見える月。
明るく地球を照らしているが、ボクの足元は暗い。
光と影・・・それは表裏一体で切り離すことはできないもの。
なんだろう。
からからに乾ききった大地に吸い込まれて一向に潤わない雨が降るように。
ひびの入ったグラスをワインで満たそうとするように。
砂の城が波をかぶって瞬時に溶け流されてゆくように。
行く宛てのない言葉と思考が指の間からこぼれ落ちてゆく。

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神も仏も

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先日、小学1年の上の娘が口ずさんでいたのを聞きとがめた、「だるまさんが転んだ」という遊びの節。「それは学校でみんなそう言ってるのか」と訊くと、そうだと言う。保育園でも先生にそう教わったそうだ。
ううぬ。この遊びには京都の伝統たる別の名節があるのにそれを守り伝えてゆかずになんとする、と決意して言う。馬鹿者、その言い方では面白くない。それはこう言い換えるのだと・・・

♪坊(ぼん)さんが 屁をこいた
 匂いだら クサかった

大笑いだった。下ネタ好きな子どもたちには断然、こっちの方がウケる。早速明日から友だちみんなに広めてこい、と申し渡す。

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嫌煙ヒステリー

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先日タバコを買いにコンビニに寄ったら、Marlboroのアイスミント3箱で車載用灰皿がオマケで付いてくるというので、ついつい買ってしまう。もう長いこと、タバコはメンソールを吸っている。
昔、多いときには1日1箱とか2箱とか吸ってたこともあったけど、ここ何年もそんな吸い方はしておらず、1日平均4〜5本というところで落ち着いている。

ボクの仕事は、何かを創るときに頭の中で考えている時間が長く、実際の作業は短い。時間の余裕がある場合には、頭の中である程度のカタチになるまで時間をかけてじっくり熟成し、それからおもむろにえいやぁっと作業に取りかかるのが常だ。ハタから見ている分にはどう見ても他のことして遊んでいるとか釣りしてるとか、そういう時でも頭の中ではちゃんと考えている。その考える時間に欠かせないのがタバコなのだ。

しかしこのところ、タバコのパッケージに不細工な注意書きの文字が大きく目立つようになってきている。曰く「依存症になる恐れがあります」「脳卒中の危険性を高めます」「肺気腫になる確率を高めます」等々、パッケージの表面、裏面、側面、ありとあらゆるところに記されている。
吸う方のこちらの身としては、言われるまでもなく先刻承知している。猛毒のニコチンや毒性のあるタールを身体に入れるのだから、それが身体にいいってことは絶対にないだろう。

このところ、このテの「嫌煙ロビィ」とも言うべき嫌煙権運動がかなり度を超してヒステリーの域にまで達しているように感じられる。以下、先日訪れた医院の掲示板で見かけたチラシの内容を引用してみようと思う。

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秋の日のためいき

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「秋の日の ヴィオロンのためいきの 身にしみて ひたぶるにうら悲し」

上田敏の訳詩集「海潮音」収録、破滅的な人生を歩んだヴェルレーヌの詩の一節。
秋の風が吹くころ、この詩をなにとはなしに思い出し、口ずさむ。

野を歩けば目に入る木の実、黄色や赤に色づいてやがて落ちてゆく木の葉。日一日と冷たくなってゆく風が身にしみて、ワケもなく寂しさや悲しみがわき起こってくる。そんな心地の詩だろうか。
急ぎの仕事やらなんやらで数日バタバタしていて、気がつけばすっかり秋の気配が深まっている。夕方に外を歩いていたら何だかとても寂しくなり、この詩を思い出した。

しかし、そう破滅的に黄昏れていては面白くない。
「ひたぶるにうら悲し」と嘆くばかりよりも
「秋風のSHADOW 悪さしながら男なら 粋で優しい馬鹿でいろ」
(桑田佳祐/「祭りのあと」の一節 略)

これくらい俗な方がボクには心地いい。

(写真は先月福井のソバ屋で撮ったもの。季節を感じさせる気の利いた装飾だ。)

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