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キャッチ&リリース

何年か前、北陸のとある渓を独りで釣り上がっていたときに出逢った、壮年のエサ釣師。腰にビクをぶら下げた、日本古来の伝統であるキャッチ&イート(釣って食べる)のエサ釣師お決まりのスタイルである。

「釣れますか」とボク。
「いやあ、ダメだなあ」
「ダメですねえ」
「この渓は昔はもっと釣れたもんやが・・・年々、ダメになる」
天を仰いで、タバコの煙をふかす。
「ホントですね」
「大きいのが、ぜんぜん出よらん」

ひとしきり今日の冴えない釣りを嘆き合ったあと、
「やる気のある未成魚も出ませんね。こりゃ、かなり人が入ったかな」
と言ったら急に彼は黙り込んだ。
ボクはふと、彼の腰にぶら下げてあるビクに目が行った。
「今日は、どんな感じでしたか?」
とそれを覗き込むようにして訊くと、彼はビクを後ろに隠すようにして小さく言った。
「小さいのばっかりや」
予想通りだった。
あのビクの中にはさぞかし、小さなヤマメがたくさん入れられているに違いない。

「キャッチ&リリース」という言葉がある。海外で発展した考え方で、最近はブラック・バスの問題でよくいわれる言葉だからご存知の方も多いと思う(詳しくはこちらで、偏向のない冷静な説明がなされているのでご参考に。リンクフリーとのことだったのでアドレスを拝借しました)。

070515release2.jpgボク自身も、普段の釣りでしてる行為はまぎれもなくこの「キャッチ&リリース」なのだけど、実はこの言葉そのものは嫌いである。
というか、その本質を見失い、ただこの言葉をお題目の如くに唱えて釣ったサカナを元の水に戻すという行為のみにて、さもいいことをしてる気になってる釣人が嫌いだと言った方が正しい。
乾いた石や砂の上にサカナを置いて写真を撮ったり、手で魚体を強く握りしめたり、ハリを飲んだまま糸を切ってリリースしたりしても、その場では殺さないというだけでその後まもなくそのサカナに死が訪れることは明白である。「単に逃がした」という行為は、すべての免罪符ではない。

その本質が何か、ということは、ここでは言わない。それは釣人ひとりひとりがそれについて経験を積み、思慮を巡らした末に得る結論だと考えるからだ。

もっともボク自身は、厳格に何が何でも「キャッチ&リリース」というワケでもない。キャンプに行ったときなどは、その日の夕食にと1匹や2匹はキープすることもある。
しかしそこにはおのずと「限度」と「節度」というものがあると考えている。いくら飢えていても釣ったサカナすべてを持ち帰ろうとは思わない。現代は縄文時代ではない。

日本には古来からの伝統として「釣ったサカナは食べるもの」という認識がある。今も、釣ったサカナを無意識にビクにおさめる釣人は多くいるだろう。本来、遊びとしての「サカナを釣る」という行為と「釣ったサカナをどうするか」という発想は別の次元の話なのだけど、そこが渾然一体となって「釣りたてのサカナは美味しい」という実に曖昧な根拠で以て、特に区別されずに来た。もちろん、その楽しみを否定することはしない。よくも悪くも、それが日本の釣りの伝統なのである。永い時間をかけて培われた伝統を覆すのは、容易ではない。サカナがいなくなるのが早いか、すべての釣人が自発的に節度を持つようになるのが早いか、時限競争をしてるようなものだと考えているといえば、卑怯だろうか。

070515release1.jpgだから、「キャッチ&リリース」という概念を他の釣人に強制する気は毛頭ない。ある渓のサカナが乱獲によって激減したとしても、釣ったサカナすべてを持ち帰る釣人を面と向って非難したり、ましてや彼らに対して説教する気にはならない。それは価値観の押しつけであり、「知ってる」ことによる傲慢さの裏返しでしかないのではないかと考えるからだ。
できることといえば、精一杯、起こっていることの真実を、遠回しに気づかせてあげることぐらいなものである。

上の会話の続き。
ビクを背後に隠し、横を向き天を仰いでタバコをふかしながら、そのエサ釣師は言い訳がましくもう一度言った。
「昔はもっと大きいのがたくさんおった」
ボクは少し意地悪な気持ちになって、こう言ってみた。
「小さいのをたくさん釣って持って帰ったら、そりゃ大きいのはいなくなりますよね」
彼の横顔を見るボクの視線は、きっと「愚かなヤツ」と憐れむものだったのだろう。ボクはそのつもりはなかったのだけど、彼はそう受け取ったように見えた。急に下を向いて小さな声で「それじゃな」と口ごもりながら言った後、そそくさと林道に上がっていった。
言わでもがなのことを言ってしまったかもしれない、と、少し心が痛んだ。

彼はあの後、どうしただろう。
その日気づいたこと(うすうす気づいてはいたものの、己の中にある「自分だけは」というご都合主義が急に目の前にはっきりと現れたこと)に目をつむり、自然に対する過去のツケには素知らぬ顔で頬被りをし続けるのだろうか。もしそうなら、二度と彼、あるいは彼と同じような種類の釣人とは話すことはあるまい。

あるいは・・・もしそうでなければ、ひょっとしたら友だちにまではなれなくとも、少しくらいは分かり合えるかもしれない。

そんな淡い期待を抱きながら、またボクは渓へと向かう。
 


Comments:11

JIMO 07-05-15 (火) 21:38

キャッチ&リリースって言葉、私も嫌いです。
なんか匂うんですよね。何だろ?
いいことしてるみたいで気持ちいいんだろうか・・・・。
バス問題はなんだか環境問題と遊びをごっちゃにしてるような感じで
さらに情操教育がどうしたこうしたって意味わかんないし。。。
こっち側の人達でも自然環境云々言ってるようで、
実は遊び相手の魚がいなくなって困っちゃうみたいな
釣り人サイドからしか見ていない人が多いような気がしてます。
釣りが仕事から遊びになったことがいちばん問題なのかもしれないけど。

オードリー 07-05-16 (水) 0:12

そうですね。
捕まえて、逃がして。。。捕まえる。
いたぶっている様な言葉ですね。
ルアーフィッシングをする時に、魚にとってはあとで逃がしてもらえるなんて想いもしないから、命がけで抵抗しますよね。。。
それで、釣り上げた時に体力が消耗してしまっていて、海に放してもお腹を上にして浮かんで来たり。。。
「ごめんなさい」と、胸が痛くなったり。。。
釣り上げる力の入れ具合を、、、「今日の夕飯になってください」と、胸はって言いながら格闘を楽しむ。そんな釣りになるまではちょっと時間がかかりましたが。。。(ちょっと、一昔前の追憶をたどってしまいました^^)
私が 勝手に思うには。。。
>二度と彼、あるいは彼と同じような種類の釣人とは話すことはあるまい。
と。言っているのが107さん。だと。。。ご都合主義ですか?そうは感じられませんが。。。(すみません、^^。)
偉大なる自然を相手にする。。。釣師様。^^。

ひぐちあきお 07-05-16 (水) 10:26

キャッチ&リリースを自然保護と混同しているから、よけいな論争になると思うんですよ。釣り人はどうしても自然にインパクトを与えてしまう。だから、釣った魚をリリースして、少しでもローインパクトにしようというわけですが、畢竟、だったら釣りという行為自体がいちばんの罪ではないかとなってしまいます。
もっと単純に考えたら、「来年も同じ川で釣りをしたいから」??それだけでいいんじゃないかと思うのです。だからせめて小さな魚はもどしてあげたい。
山奥にある我が家とて、車で10分のスーパーで新鮮な魚が買える時代です。何も無理して貴重な川魚を食べずともいい。けれども、岩魚やアマゴが大好きな家族に持ち帰ってあげたい。そんな逡巡と闘いながら、ぼくは今日も地元の川にゆきます。
ぼくのリリースリミットは23〜4センチってところかな。もっとも、汀に横たえ、巻き尺で測ったり、デジカメをとりだしている最中にオートリリースしてしまうことも(笑)。
もっとも、ぼくの釣りの腕じゃ、半日で1〜2尾がせいぜい。

107 07-05-16 (水) 22:28

△ JIMO さん
横文字にすることでファッションとしての使い方ができてしまったような気がします。有名人がやってるからカッコいい〜とか、非常に短絡的で軽薄な。そういうのに対して嫌悪を感じてしまいます。
釣りは、遊びは遊びのあり方があると思うんです。
職業としての「漁」とはまた別の次元で。
むしろバスの方では遊びと仕事(釣具業界やメディア)が複雑に絡み合って、それとバスにすべての責任をなすりつけたがる行政の無能もあって、相互不理解と対立が助長されているのではないかと。
単なるけなしあいは不毛なことですのにね。
△ オードリーさん
釣りとは本来、残酷なものです。食べるか逃がすかに関わらず。ひぐちさんがご指摘されてるように、自然に対するインパクトも大きく、決して本当の意味においての自然保護の考え方が馴染む行為ではないと思います。自然保護を厳格にするなら、「全面禁漁」というのがもっとも正しい方法論ですから。
それを犯してまで自身の加虐的な行為を肯定せざるをえない悲しい性の持ち主が、釣人です。その自覚の欠如が、問題を大きくするのだと思ってます。
> 二度と彼・・・
ん?・・・これは、ボクのことをご都合主義だと言っているのではありません。「彼」のことです。ボクはそんなに優しくないです(笑
いつも有難うございますね^^
△ ひぐちあきおさん
まったく、おっしゃる通りです。
本来、行動原理はシンプルでいいのだと思います。妙に講釈を垂れようとするから次々に矛盾が露呈してきて墓穴を掘る。
近頃はキャンプもしてないのでもっぱらリリース一辺倒ですが、たまにはキャンプでもして夕食のおかずにたき火で炙って食べたいなと思うこともあります。渓の近くにお住まいなのは羨ましい。
さて、こんな話をしていたら釣りに行きたくなってきました・・・
今夜半から、発作的にまた北陸まで出撃することにします(笑

noobooboo 07-05-16 (水) 23:29

キノコ・・・突然ですが、キノコ・・・笑
父がキノコを山に探しに行って、いつも嘆いていました。
去年あったところに、何もない。。
小さなキノコから何でもかんでも根こそぎ取っていってしまう人がいるからだと言ってましたが・・・
キノコって菌ですけど、そうなんですかね?笑
よく知らないんですけど・・・。
食べるものを、食べるだけ取る。
そのことは悪いことだと思わないのですが、
遊びにしても、食べることにしても、食物連鎖の頂点の人間の数が多く、与える影響も大きいことを考えると、やはりルールと、モラルが必要ですよね。
毎晩、カモに餌をあげながら、
こういう行為もどうなのかな?なんて思ったりもして・・・。
良いこと、悪いことの基準も、価値感も・・・人それぞれで、難しいですね。

107 07-05-17 (木) 0:26

△ noobooboo さん
キノコ・・・(笑
確かに菌類ですから「根こそぎ」がどうなのか分かりませんが・・・
でも、カサが開いて胞子が飛ぶ前に全部摘んじゃったらやっぱり次の年は生えてこないように思いますから、お父上は正しいと思いますよ^^
ヒトは、食物連鎖の頂点の生き物であるという自覚と果たすべき責任感(ルールとモラル)を持つべきだと思うんですが、どうそれが欠けていることが多いように思います。見えるのは、ただただ強者としての驕りのみ・・・平家物語に曰く「驕れるものは久しからず」。
人それぞれで、ホントに難しいですね。
せめて遠回しにそっと伝えることで、理解しあえたら幸せなんですが・・・ね^^

piro55 07-05-17 (木) 1:02

こんばんは!
いつもご心配ありがとうございます、そしてすみません・・・
限度と節度。何事においても必要ですし、必ず考えに入れておかないといけないことですよね。
自己の満足に至るか否かが先にたってしまうと、見境無くなってしまいがちなのでしょうが。
対象が命ある貴重なものであればますますわきまえが必要なはずなのに。悲しいことです。
ヒトは自然の流れるべき方向を変えることでこれだけの繁栄を得ているのでしょうが、コントロールできないほどに変えてしまっているのではないかと思います。もう十分すぎるほどに壊れていく自然を見ているのですから、悪い例をこれ以上繰り返してはヒトはただの馬鹿な生き物になってしまいますよね。
「せめて遠回しにそっと伝えることで、理解しあえたら幸せ」
ほぼ毎日格闘している難題です。本当に難しいです・・・

sekisindho 07-05-17 (木) 1:11

107さん、こんばんは。
正直なところ、いわば釣りの門外漢として、キャッチ&リリースと云う言葉は知っていたものの、考えた事のない問題なのでとまどっています。
キャッチ&リリースはヘラブナでもそうでしょうけど、釣りそのものを楽しむ釣りにおいては必然的な行為で、食するための釣りとは全然別物と思ってました。
渓流の釣りはどちらの釣りなのか、あるいはもっと複雑なものなのかよく分かりませんが、私的な感覚では前者の色合いが濃いのかと思ってました。
問題はもっと複雑のように思いますから、簡単に無責任には云えませんけど、食生活の一翼を担う人たちの立場ならまた違った考え方が大いに出てくるのでしょうね。

107 07-05-18 (金) 10:57

△ piro55 さん
いえいえ、お元気そうでなにより^^
太古のヒトがそうであったように自然との調和や一体感の中で生きていけたらよかったのに、いつからヒトはこうなってしまったのかなと、最近の世界で多発する悲惨な事件や争いを見るにつけ、ややもするとペシミスティックになってしまいます。
> 遠回しに
ホントに難題ですね。ボクも日々懊悩しております。
△ sekisindho さん
ヘラブナの釣りにおけるキャッチ&リリースと、渓流魚釣りにおけるそれは随分事情が異なりますので、同じ土俵で論じることは難しいと思います。ヘラブナは食えない、食うヤツはいない、という点で。
非常に単純ですが、実はこれが最も大きな、そして非常に重要な相違点でして・・・もし、ヘラブナが食べて美味しいサカナであったなら、フィールドの立地や諸条件からしてすでに絶滅しているだろうという仮説もあるほどです。ゆえにこそ、究極のゲームフィッシングとして「ヘラに始まりヘラに終わる」とまで言われる釣りにまで進化したのだと思います。
一方、渓流のサカナは食べて美味、釣るのも困難というもので、究極のゲームフィッシングとグルメとの相剋が、より一層事情を複雑にしていると言えると思います。
食生活の一翼としての渓流魚の位置づけですが、養殖技術が発達してスーパーに普通にニジマスやアマゴが並べられていますから、単に食べたいと思うならわざわざ漁をして獲るまでのものではなくなっています。また職漁としての渓流魚釣りは、ごく一部の例外を除いてすでに消滅しています(降海し溯上する特定のサケマス類を除く)。
各地の河川漁協における渓流魚は「雑魚」扱いであることがほとんどで、建前ではなく実態としては職漁の対象であることが議論の前提にはなりません。関東ではまだマシになったようですが、関西の漁協における渓流魚の管理体制というのはそれはもうひどいものです。内部事情はこういう場では詳しく言えませんが、目的は遊漁者の娯楽ではなくて国からの補助金であることが往々にしてあり、そういう「税金のダニ(キツい言葉ですが、敢えて!)」的な甘えの体質が染み付いてしまった漁協において意識の変革を望むならトップの世代交代にしか活路を見出せないというのは、非常に悲しいことです。
・・・話が随分逸れてしまいました(^ ^;

森の音 07-05-19 (土) 12:54

キャッチアンドリリースというのは、
一つの思想みたいなものだと思います。
だから自分が思うことと、人が思うことは違って当たり前だし、
ましてそれを強要するのもおかしいことだと思います。
ちなみに私の思想は以前こちらに書かせていただきました。
http://blog.goo.ne.jp/renegade/e/1de11605d5b70a3796749dd99dd17b5d
よろしかったら読んでください。

107 07-05-19 (土) 23:34

△ 森の音さん
ご思想、拝見させていただき、感じたことをコメントとして入れさせていただいて参りました。
考え方は人それぞれでいいですよね。

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