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言語教育と知的好奇心

小学校で英語教育が始まるらしい。我が家の娘は、上が来年から小学校だからとても身近な問題である。
タテマエとして、「国際化」の潮流の中で英語によるコミュニケーションはその重要性を増すだろうから、幼少時から他国の言語に馴染んでおけば違和感なく学習できる、という主旨は非常によく理解できる。外国に行く場合はもちろん、日本国内にいても、外国人労働力などもいずれ解禁になるだろうし、日本がかつて経験したことのない多人種共同体の中でのコミュニケーションをうまくやっていく上で、次代を担う子供たちの英語理解力の向上が重要事項であることには異論はない。

気になるのは、教育や行政の目が英語教育にばかり向けられているのではないか、ということだ。先日テレビでやっていたのだけど、「憂える」という言葉の意味を現代の大学生に聞いてみたところ圧倒的大多数が「うれしくなる」と答えた、ということをある大学教授がボヤいていた。さらに、織田信長がなにをした人か、ということすら知らない高校生もいるという。あるいは、先日も話題になっていたが、国会議員ですらイラクが世界地理上どの場所にあるのかを知らない、という驚くべき事実。
あまりにもレベルが低すぎて涙がちょちょ切れてしまうのだけど、さて、ではこれらが意味するものは何だろう。
今のところ英語教育以外の学問について、それほど大きなカリキュラムの変更があるとは聞こえてこない。せいぜい日本近代史の近隣国との関係における認識云々という程度の話で、こういうのを織田信長すら知らない馬鹿に問うてみても馬の耳に念仏である。とすると将来、ある程度英語は話せるものの、自国の言葉や歴史、世界の地理を知らない人間が、外国人とコミュニケーションしようとする、ということだろうか。
まったくもって笑止千万。
転じて世界の人々は、自国の言葉や文化、歴史にとても愛着を持っている。それは安っぽい「愛国心」という言葉では片付けられない、個人のアイデンティティに根ざした深いものだ。そして彼らの中でも、別の国の人とコミュニケーションしようとする人たちは他国の言葉や文化、歴史にも関心を持ち、そこからお互いに理解を深めようとすることが多いように思う。また、そういう話題から相互に理解も深まるものだ。そんなところへ、自国の言葉や文化や歴史など一般教養の話題にはからきし、おつむカラッポなのがのこのこと出ていくのは、恥さらしもいいところだし、例えばいくらうまくビジネスの話ができようが真の意味での相互信頼など得られるべくもなかろう。
自国の言葉や文化、歴史は、学校で習うことも大切だけれど、基本的には個人個人が関心を持って能動的に知ろうとする知的好奇心の問題だと思う。「知的好奇心」は、単なる「好奇心」とは違う。知的好奇心のない人間には、どんな学問をどんなに工夫して教育しても無駄だ。
今の学校教育で国語や日本史、世界史がどんなカリキュラムなのか知らないが、現実に起こっている事象を見る限り、少なくとも個人の知的好奇心を育てるような教育にはなっていないと感じる。親として教育の欠けた部分を補うようなケアを行う努力をもちろん怠るつもりはないが、子どもたちは家で過ごす時間と学校で過ごす時間とが同じくらいであることがほとんどなので、家で親ができることには限りがある、ということもまた現実である。幼少期からの英語教育もそれはそれで国際化の波の中ではひとつの大切な手段ではあるかもしれないけれど、もっと大切な、教育の根幹をなすものがあることに、教育にたずさわる人々(特に机の上だけで議論したがる人)が早く気づいてほしいものだ、と心から願う。


Comments:6

バカボン 06-07-14 (金) 0:05

国際化=英語教育という短絡的発想の欠陥をそろそろみんな気づいてもいい頃です。日本語という思考の根幹を確立しない前に、外国語教育を施す結果は、考えるだに恐怖を感じます。つまりそれは思考停止を招き、国際人を作るのではなく通訳を育成するだけに帰結します。
未だ弘法大師を超える国際人を出していない日本。いいじゃないですか無理しなくても。翻訳文化という独自の受容と国際参加をして結構うまくやっているじゃないですか。

107 06-07-14 (金) 0:41

△ バカボン さん
まさしく、おっしゃる通りです。
「国語」を理解できない人間に「外・国語」を真に理解できるワケがない。英語教育をきちんと身につくものにしたいなら、まずは国語教育をなんとかするべきだろうと思います。
昨日もNHKでやってましたが、「汚名返上」と「名誉挽回」をごっちゃにして「汚名挽回」と表現する人が大人でもかなり多く、むしろ正しい使い方をする人の方が少ないそうです。
汚名を挽回してどうすんねん!と(笑

sekisindho 06-07-15 (土) 0:08

107さん
こんばんは。
所詮、英語もパソコンと同じであって、たしかに便利な道具にすぎないと思ってます。
何も中身のない人が、英語で喋ったからといって中身が生じるわけではありません。
自国語を学ぶ国語教育の意味と、便利な道具の使い勝手を覚えることを同じ教育レベルとして捉えるから間違いが起こるのだと思います。

107 06-07-15 (土) 0:52

△ sekisindho さん
こんばんは。
今日付の読売新聞の記事(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060714-00000114-yom-soci)、小学生の国語力で「子孫」は「こまご」と読む子が多く、「挙手」を正しく読めた小4の割合は約17%にとどまる、というニュースがありました。
日本の未来を背負って立つ子どもたちの話。この記事を読むと、なんともはや・・・という暗い気持ちになります。そしてこの子どもたちが、来年から英語を学ぶことになるようです。
いったいなぜ日本の教育はこんなになってしまったのでしょう。身近な問題だけに激憤を押さえることができないのです。

JIMO 06-07-15 (土) 13:05

うちの娘(小4)は読めませんでした。っていうか意味を知りませんでした。
学校でも習わないし、言葉も聞いたことがないとのこと。
これに限らず、身の回りのことを何にも知らなさ過ぎる気がしています。
国語以外の学習、スポーツや友人、習い事、家族とのふれあい、TV、ゲームなど、最近の子は自分が子供の頃以上に忙しすぎるようです。

107 06-07-15 (土) 14:50

△ JIMO さん
スポーツや友人、習い事、家族とのふれあいっていうのは、いいことですよね。
「子孫」や「挙手」は、小4で習う指導要領になっていないのでしょうか?・・・いや、それなら文科省が調査する筈ないですね。では、教育現場のほうで、教える筈なのに教えてない、ということ??
算数も四則計算ができない子が多いという結果が出てるようです。これも教える筈が教えてない、ということなんでしょうね。
どうなってるのでしょ、ホント。

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