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ジンクス

それほど迷信深い人間ではないのだが、こと釣りに関する限り、「ジンクス」とか「ゲン」、あるいは「迷信」とかいうものを信じてしまう方である。

SAの蕎麦
蕎麦を食う!
夜討ちの途中、北陸道のとあるSAで「天婦羅そば」または「掻き揚げそば」を食べると、その日の釣りは大釣りできる。
というジンクスがある(ことにしている)。というわけで、同行者二人、黙々と食う。これが、SAには似合わない手打ちのそばで、非常にうまいのだ。
 
ご来光
高速道路を走っていると、ご来光が。
これは今日は縁起がいいぞ、と意気込み期待に胸躍らせる。
(報われるかどうかは時の運次第だが)
 
カモシカ
ニホンカモシカの巨大なオス。釣りをしている背後の淵に、突如水しぶきをあげて飛び込んできたり、林道のど真ん中に屹立し微動だにせず立ちふさがっていたりする。草食動物で温厚な性質のはずなのに、その不敵で獰猛な面構えにはビビってしまう。

釣りというのはご存知の通り、天然自然の条件なり状況にその結果が大きく左右される遊びである。しとしととそぼ降る五月雨のような雨なら逆に喜びとなるのだが、先日のように驟雨に打たれ雷鳴の中釣りをしなければならないこともある。あるいは5月の半ばも過ぎてすっかり初夏の様相なのに、釣りに行った日だけ季節外れの寒波が襲ってきたりして、冷たい冷たい渓を遡行すれども一向に反応がなく、帰ってから痔とギックリ腰が再発して動けなくなる、なんてこともある。はたまた、前日は雨後の増水でサカナの活性が極端に悪かったのが、翌日になって水が落ち着いたらウソのように活性が上がって、それこそ昨日今日始めたようなビギナーでも爆釣させてくれるようなこともある。これら自然現象はすべて自然の思し召しによるものであって、浅はかにも直立類人猿の成れの果てであるホモ・サピエンス、人間ごときの恣意によって変えられるものではない。

昔からヒトは、天変地異や自然現象を神の意思表示だとして畏れ、敬い、尊んできた。それらを克服し征服さえしようとする西洋的な発想とは異なり、我が国日本では、原始アニミズムを洗練し昇華させ、すべての自然に神が宿り、野には八百万(やおよろず)の神々がおわすという考え方で2千年余りを過ごしてきたのだ。ここ100年ほどで急激に西洋化してしまう中で、そのような日本的アニミズムは衰退してしまったかのようにも思えるのだが、千数百年にも渉って脈々と受け継がれてきた精神文化の底流はそう簡単に消滅してしまうとは思えない。

実際、渓の奥深く、原始の森林の中を縫う清冽な流れに身を置き、水の流れや無垢そのもののサカナたちと戯れるとき、ふと今そこにある自身を遥かな鳥瞰の視点から見えるときがある。こんなことを言うと「アタマのおかしいやつだ」と思われるかもしれないが、即物的な五つの感覚だけを使う日常の都市生活で鈍り感覚の奥深く押しやられてしまった別の感覚(第六感なんていうこともある)がひょっこり姿を見せるるような、その感覚で「何か」を感じられるような、そんな瞬間を経験したことはないだろうか。にわかに木々がざわめき、緑がさざめき、風がささやき、光がまぶしく降り注ぐまさにその瞬間、身の回りのすべての風景と事象がただそこに、そのようにある。時間が止まったかのような、それでいて全身の感覚が隅々まで冴え渡って、自然の懐に抱かれている幸福感に満ちる。そんな一瞬。

ジンクスとかゲンを担ぐというのは、おそらくそういう別の感覚器が私たちに作用して過去に起こったことの総括やこれから起こる何かを教えてくれることを、敏感に感じ取ろうという無意識の意思の表れなのではないのだろうか、と思う。江戸時代の人々が出かける時の厄払いとして火打石を打ち鳴らしたりしたことも、現代人から見れば非科学的なことのように思えるかもしれない。しかしそういうルーティンを忠実に守ることで、何かいつもと違う違和感があったときにそれをいち早く察知し異変を未然に忌避することができるのではないかと、当時の人々は考えていたのではないだろうか。

私たちが釣りをする現場というのは、ほとんどが自然の流れに近いかそのままの渓流であることが多い。ご承知の通り、自然には美しさだけではなく同時に厳しさもある。マムシやイノシシ、クマ、気性の荒いカモシカのオスなど、動物の危険は言うに及ばず、落石や土砂崩れ、鉄砲水など、渓流部に潜む危険を数え上げればキリがない。あるいは自身の不注意や突発的な事故(転落や滑落)にも充分注意する必要があるだろう。そのため、街の生活では気にも留める必要のない様々な事象をも(自身の体調も含めて)敏感に感じ取る必要があると思うのだ。

ボクは今年37歳になった。この釣りを始めたのが21歳だが、当時と比較すると当然のことながら明らかに気力、体力が落ちている。歳相応に老け込んだ、という歳でもないのだが、それでも特に肉体的な衰えは顕著である。だからこそ、若い頃には気にもかけなかったようなことにまで、より気を遣わなければならないと自戒している。故に、まるで年寄りのようにジンクスだのゲンだのと言い始めている今日この頃なのである。

 
*ブログを始める以前、本体HPに書いていた散文です。2010年1月にブログに転載しました。

 
 
 


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[…] べる。一気に食べる。 以前はジンクスだ何だといってここで蕎麦を食べるのに言い訳していたけれど(→参照)、最近はそんなことはどうでもよい。ただ、食べたい。それだけである。 […]

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