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春の釣り

前回釣りにいった後、かなりひどい風邪をひいてしまった。今年最初の渓歩きで足腰が参ってしまい体力がガタンと落ちてしまったのに加えて、仕事が急に立て混んで深夜まで仕事をしてさらに抵抗力が弱ってしまったところを、風邪のウィルスにつけこまれたようなのだ。おかげでまる2日、体の節々が痛み熱が出て身動きができなくなって寝込んでしまうハメになった。まあそういう釣りの後の体のことも含めて、やはりシーズン最初の釣りはボクにとっては「リハビリ」なのである。

だがその風邪も治ってしまえばこちらのもの。冬の間に鈍りに鈍った体も前回の渓歩きで随分軽くなり、すっかり準備が整ったので再び先日と同じ渓へ出かけることにした。


春の渓
街なかではもうすっかり春まっさかりだが、渓ではまだ春の始まり、といったところ。桜は満開を過ぎて木々の緑も芽吹きはじめてはいるが、まだまだ景色は寒い。あともう少しの辛抱だ。
 
アマゴ
今日の一番。ボクの手の親指の先から小指の先までいっぱいに広げて25cmあるのだが、それよりも少なくとも2〜3cm大きかった。
 
アマゴ
少なくとも一年以上はこの渓で過ごしていると思われる。魚体の艶、プロポーションなど、どこにも文句のつけようがない。
 
アマゴ
特にヒレは、どこにも欠損の痕跡すらなく、ウチワのように広くて厚く、力強かった。
 
相棒
本日同行のS氏。昼過ぎ、待ち合わせ場所にやってきた彼はいなり寿司とおにぎりを頬張り、ネクタイを締めていた。釣りをしながらも、かかってきた携帯電話で「あ〜〜どもども。お世話になってます」などと営業トークをする仕事の鬼である。「ここは携帯が通じるからいい」とのこと。
 
アマゴ
桜の花びらと子アマゴ。この時季ならではの絵柄だったので、この幼児には悪いが流れに帰すのはちょっと待ってもらって、思わず写真を一枚。

昼過ぎに現場に到着し、少し渓を見て回って、前回よりもう少し下流を攻めてみることにする。前回のコースは、あれから友人たちが何人か入ったらしいのだが、サカナがかなりシビアにスレていて数も減っているらしいとの話を聞いていたのと、まあこれが一番大きい理由なのだが毎度同じコースでは面白くないと思ったからだ。

いざ渓に立ってみると、上流部よりは川幅はあり、岩もひと回り、ふた回り大きいものの、底が全体に浅く砂が多い。イヤな予感は的中して、釣り始めてみると案の定、カワムツ天国であった。午後2時を過ぎると#12以上の大きさの猫背の茶色の大型カゲロウも羽化を始め、渓相や光量など全体にいい雰囲気になってきたのだが、フライに反応するのは相変わらずカワムツくんたちのみ。

「う〜〜〜む」と唸りながら次のポイントを見る。渓相と流れ、底石の状態がかなりいい感じなのでしばらく観察していると、対岸の複雑に屈折した流れの流芯で、ピシッ、と小さな水しぶきが上がった。ライズそれ自体は今日今までに見飽きたカワムツくんのと大差ない。しかし、その如何にもいやらしい複雑な流れの位置と流速からして、「もしや」との思いがわき上がってくる。キャスティングの前に首をボキボキならして肩の力を抜き、カワムツくんの猛攻によって途切れていた集中力を再び取り戻すため、慎重にプレゼンテーションをすることにした。

一度めのプレゼンテーションは、ライズまでの距離とフライの流れ方を見極めるため、ライズの少し下流側にソフトに落としてみる。目で見た感じと実際にフライを流してみるのとでは、流れに乗せたタイミングにもよるが、微妙に異なる場合が多い。やはり、かなり難しい流れである。ティペットを新しいものに交換して少し長めにとり、結んでいたカディスをやめて少しでもドラグヘッジを稼げるパラダンに結び替えて、次は本番。

ライズの上流1メートル程度をメドに、逆U字でスラックをたっぷりとってフライを置き、ドリフト。うまくいった、と、フライが消えた!

ピッ、とラインを張って合わせると、フックオン。いきなり、上流に向けて突っ走る。竿を立ててかわすと、今度は右へ一直線に走る。強い。糸をそっと手繰って、再び竿を立てる。グリングリン、とサカナがロールした。

「アマゴだ」ひょっとするとデカいウグイかもしれないと思っていたのだが、このロールで一気に希望が湧く。さらにプレッシャーをかけると、今度はこちらに向かって突っ込んでくる。大急ぎでラインをたぐり寄せ、さらにラインを張ると、目の前にそれが見えた。

鈍い銅色に輝く魚体にうっすらと滲んだようなパーマーク、砲弾型のプロポーション、ピンと大きく広げられたシャープなヒレ。やはりアマゴだ。しかもいいサイズ。この渓にこんなのがいるとは思わなかったので、ネットを持ってきていない。同行の友人に声をかけ、ネットで掬ってもらう。

横たわった魚体を見て、ホレボレした。いいアマゴである。
「いいアマゴだ」思わず口をついて出る。「ホントにいいアマゴだな」
「こんなのがいるのか〜」と同行の友人も驚いている。
単純に大きさだけなら、放流魚でこれくらいのはいくらでもいようが、肌ツヤ、コンディション、ともに申し分のないこういうサカナが、この渓で釣れるとは思ってもいなかった。

同行の友人には先に行ってもらい、ボクはしばしサカナに見とれる。写真を何枚も何枚も撮り、魚体の厚みを見ては感心し、尾ヒレを広げて唸る。それからようやく満足して、魚を水に戻してやり、煙草に火をつけ、しばらく座り込んで幸せな時を過ごした。

フライフィッシングはプロセスの釣りである、とよく言われる。まさしく、完全なるプロセスだった。常日頃心がけてはいても、なかなか思うように釣れることは少ないのが現実だ。ピタリとハマる一匹、なんて、年に数度もあるかどうかだろう。ゆえにこそ、この瞬間は最高なのだ。釣れた数、すなわち「結果」など、どうでもいい。大切なのは「如何にしてそこに至ったか」という過程、プロセスなのだ。

これは、こと釣りだけに限らないと思う。日常生活、仕事、いずれのシチュエーションにおいても、結果だけを追い求めると精神に貧困が生じるのではないか。確かに結果が必要なときもある。だが、プロセスを無視したなりふりかまわない結果追求主義は、さらに結果を求めねばならない悪循環を招き、また、相手からもなりふりかまわない結果を求められることになるだろう。最終的には「自分だけ良ければ良い」と、例え意図していなくても、周りからはそう見られてしまうのだ。そして後々、結局は自身や身の回りに多大な負担となって、はね返ってくる。荒んだ精神の貧困は何ものをも産み出さない。「貧すれば鈍す」とはよく言ったものだ。

この釣りをしていて良かった、と思うのは、そういうプロセスの重要性を改めて認識するときだ。単に趣味としてだけのかかわりではなく、人生をもフライフィッシングに捧げてしまう人が少なからずいるのも、なるほどと納得できる。

もう少し釣り上がって数匹と遊んでいたら、上流から一陣の風が吹き下ろしてきた。強い圧力で、しばらく吹き続ける。
急に気圧が変わって空気が移動しているかのような、春の夕刻の始まりを知らせるあの風だ。

虫の羽化が急に止む。
空が明るく、山々が逆光で黒いシルエットに変わる。
川面は反射できらきらと白く光り、フライを見えなくする。

さあ、今日はもういい。充分に幸せな時を過ごすことができた。
そろそろ上がって、家に帰ることにしよう。

 
*ブログを始める以前、本体HPに書いていた散文です。2010年1月にブログに転載しました。

 
 
 


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