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蜜の味

「よく釣れる渓」というのは、例えて言うなら麻薬のようなものだろう。

あんまり通いつめてはその渓の魚自体にも良い影響を与えないしゆくゆくは自分で自分の首を締めることにもなりかねないにもかかわらず、気がつけばついついそこに向かって一心不乱に深夜の高速道をひた走っていたりする。
自分で探し歩いて見つけた渓ならまだ自分自身に対して一時しのぎの言い訳がきくが、人に教えてもらった渓に自分だけ通うというようなことになると、そこに「あんまり通いつめて荒らしてはいけない」という罪悪感も生じてなお始末が悪い。その昇華作用は人により、「そこしか知らないもんね」と開き直ったり「あの渓の景色と自然が好きなんよね」と韜晦してみたりと様々だが、いずれにしてもなかなかやめようと思ってもやめられないところはやはり麻薬と同じのようである。

ボク自身、5〜6年前まで、いつも通い慣れた渓にばかり通っていた。
その当時の仕事柄もあって、「同行者を釣らせてあげなければいけない(おこがましいが)」とか、「忙しいから釣れると分かっているところで釣りするのが手っ取り早くて良い」などという言い訳をしながらそれまでの数年を過ごしていた訳だ。

ところが、それから転職したのを機に、釣りに行きたくないと思ったときは行かない、と決めて、本当に釣りを釣りとして楽しみたいと思うようになってから、昔この釣りを始めてちょうど面白くなりかけてきた頃に、随分あちこち探検、探釣に出掛けたことを思い出すことが多くなった。同じ時に同じように始めた友人とコンビを組み、あちこちの渓流へと遠征に出かけて大いに愉快に過ごしていた新鮮な感覚が、細部の記憶とともに鮮明に蘇ってくるのだ。

この釣りを始めてから初めて遠征の釣りに出かけよう、ということになって、お盆の休みを利用して富山から岐阜にかけての北アルプス一帯をその友人と釣り歩き、時季的な要素による確率の算段など今ならやらずにはいられない事前の状況分析に必要な情報収集を特にするでもなく、ただ漠然と「あのへんがいいらしいぞ、それ行け〜」とばかりに勢い込んで出かけていった。時には一週間以上も会社を休み仕事を放っぽらかして友人と二人、釣りのツテを辿って初対面の大先輩の家に居候して、先輩が仕事で留守の間に酒を飲みどんちゃん騒ぎをやらかして好き放題して過ごしたり、テントをかついで山にこもったりして遊んだ様々な記憶と経験は今もなおボクの宝物である。

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そんな記憶が蘇ってきて、その転職した翌年に久しぶりに探釣に出てみることにした。その北陸の渓は過去にも何度か訪れ一部分を探ってみたことがあるのだが、あまり好印象ではなかったことと、京都からだとかなり遠いことが原因で、それまではずっと足が遠退いていた所だ。その時にそこを探釣してみようという気になったのは、過去に訪れたときに入った場所が全体の流程からするとほんの一部分であり、時期的にもややズレていたようにも思えることから、そこからその渓の評価を決めてしまうことはまったく合理的ではなく、その渓に対してボクが随分誤解をしているような直感が働いたためだ。

朝、夜明けとともに渓に降り立つと、見慣れたいつもの渓とは違う、目に慣れない景色が新鮮な感動を伴ってボクの目に飛び込んできた。と同時に、水音と風の音とが、ざわあっ、と一気にボクの耳に押し寄せてきて、新鮮な空気、むせ返るような新緑の匂いなどと一緒になってボクの五感のすみずみにまでに広がっていく。そして、目の前にある流れのポイントひとつひとつ、どれもが魅力的なサカナで溢れていそうに見えて、膨らむ期待に得もいわれぬ高揚感を味わいながら、ファースト・プレゼンテーションのためのフォルスキャストをゆっくりと開始するのだった。

その日の釣りは期待した以上のものだった。釣果は大したことはなかったのだが、そんなことはどうでもよかった。また釣りに行けばサカナをたくさん釣ることが出来る日もあるだろう。それよりも、新鮮な感覚を取り戻せた喜びの方が遥かに大きかったのだ。いつも通い慣れた渓がいくらよく釣れようとも、毎度おなじみの予定調和の中での釣りでしかあり得ないし、そこから得られる感動も予定調和の範囲内でしかないだろう。そんな釣りを続ける限り、ボクがその日得ることができた感覚と喜びを得ることは決してあるまい。

しかし、その日までそういうことに言い訳したり目をそむけてばかりいたことを否定はしない。何故なら、その日の感動は、それ以前の長いマンネリと倦怠の後にしか得られない種類のものであるからだ。

もしあなたが、最近のあなたの釣りにほんの少しでもマンネリや倦怠を感じたら、釣り雑誌の釣場情報の誘惑や、寂しさを紛らわすための友人の誘いを断って、ぜひやってみるといい。釣り雑誌の釣場紹介などは予定調和の最たるものであるし、いつも一緒に行く友人といつも行く渓も予定調和の極みである。その枠の中でだけ釣りをしようとする限り、この五感がぴかぴかに磨かれ研ぎすまされるような蜜の味を永遠に味わうことはできないだろう。

さあ、待ちこがれた春がもうすぐそこまで来ている。

あなたの五感は、ぴかぴかに磨かれているかな?

 
*ブログを始める以前、本体HPに書いていた散文です。2010年1月にブログに転載しました。

 
 


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[…] 以前にHPの方でも書いたことがあるのだが、初めて入る美しい渓の、朝の新鮮な空気を胸いっぱいに吸いながらの第一投めの高揚感といったら、他に比べうるものはない。通いなれた渓 […]

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