Home > 釣りにまつわるよもやま | 2004年以前の釣り >

ある年の梅雨のまっただ中、湿度は100%に近いかという体感、不快指数は200%以上のある日。
その日ボクは、バカな上司のご都合主義によるワガママに振り回されて今にも爆発しそうなフラストレーションを溜め込み、ストレスの極限で疲れきっていた。平日が休みの仕事で、休日の前日ではあったがそのときのボクの脳味噌にはその翌日の休みをどうしようかと思案する余裕はまったくなく、ただイライラと仕事の終了を待っているだけだった。もうすぐ終業、時間よ早く進め、と寄り目になって手持ち無沙汰に時間潰しをしていると、ふらりと仕事場に釣り友達が訪れた。

「よお」
「まいど」
ちらりと目をかすめ合わせて顔色を見、お互いの今日の調子を探る。ヤツも随分疲れている様子だった。
「どうした」と訊くと
「バカが」と一言。
どうやらいずこも同じらしい。シュバッと煙草に火を付け、ひと呼吸置いて、くどくどとストレスの原因となったらしい今日の出来事を独り言のように話し始める。ヤツのこのテの話はいつも長くなるので、聞いているフリをしながら話題を転換するタイミングを計る。
「おい、ところで釣りは?」
「ぜんぜん行けてない」愚痴と同じトーンの素っ気ない返答と仏頂面。
そのまましばらく黙って顔色を窺っていると、だんだんほぐれてきたのか、あるいはこちらの意図しなかったがそれとなく発したのかもしれない誘いの気配を敏感に嗅ぎとったのか、こわばっていた表情が緩み始めた。

釣りは、気の合うヤツと一緒がいい。ボクの場合、気の合う合わないはその日の気分だが、今日の気分は同じ沈鬱な表情をしたヤツと一緒の方が楽だと直感した。
「明日、仕事忙しいのか?」とボク。
その言葉の意図するところを瞬間に察知したらしく、ひゅうっ、と息を吸い込む音が聞こえた。そのまま、ボクの目を覗き込むようにしてしばし考え込み始める。おそらく、ヤツと同様にボクの表情も緩みはじめているのだろうし、それが意味するものを日頃の付き合いの中からヤツは理解しているのだ。
「何でだ?」と、分かっているくせにトボけようとする。
「お前、明日、風邪ひけ」間髪を入れず申し渡す。
「出った〜」とうれしそうでもあり困り果てているようでもある奇声を反射的に発し、ボクの二の句を誘う。
「行くぞ、今晩から」一気に会話のペースが上がり、釣行の段取りと行き先を話し合うことしきり。
「うわぁ〜、得意先にどう言おう〜」と話の合間合間にうきうきしながら。
が、次の瞬間、ひとしきりの熱狂からふと醒めたように、急に冷静な目になってヤツが言う。
「明日も土砂降りの雨じゃないか」

3_2.jpg

窓に目をやれば、もう2日も続いている雨がびちゃびちゃと不愉快きわまりない音をたてている。この分では渓は増水はまず間違いなく、濁りも入って濁流になっていることを充分予感させる気配である。だがボクは、こと釣りに関してはヤツに対して数年の長があり、加えて雨には何度も痛い目に合っていることもあって、梅雨時季の天気の様子についてはそれなりの勘が働くつもりなのである。
「心配するな」と胸を張ってみせた。
「梅雨前線、というのがあるだろう。あれは太平洋側からやってきて、それが日本列島にかかると雨になる。しかし、山をいくつも越えた日本海側の北側斜面には、雨はなかなか到達せん。ここのところの雨は、太平洋岸に居座る梅雨前線によるものであって、これは日本海側の山にはさして影響はない筈なのだ」
喋りながら、ヤツに対してというよりは自分自身に対して言いきかせているのではないかと感じていたが、すでに乗り気になっているヤツにとっては充分納得のいく方便であったようだ。来た時とは別人のようにきびきびと動き回り、夜半の待ち合わせ時間と場所を確認して、そそくさと帰っていった。

深夜、待ち合わせに現れたヤツは数時間前とはガラリと様子が異なり、かなり不機嫌そうであった。びちゃびちゃと相変わらずイヤな雨が降っていて車のドアを開けるのも一瞬ためらわれるほどであったので、その不機嫌さも、さもありなんと思えた。
「やっぱり雨だ雨。これじゃいくら北へ行っても変わらんのじゃないか」車から降りてくるなりの第一声である。
「う〜ん。どうかな」もうまる2日も続く雨である。ここらへんだけで降っている雨とはとても思えない。日本全国、この鉛色の重たくぶ厚い雨雲に覆われていて、どこへ行っても同じ雨がびちゃびちゃといやらしく降っているのではないかとさえ思えるほどであった。仕事の帰り道からボク自身も少し弱気にはなっていた。しかし、せっかく一旦は乗り気になった釣行話である。
「でもまあ、ダメモトで行ってみようや」
いつものコースで県境を2つ越えてから高速道路に乗ることにする。それまでは深夜の一般国道をカッ飛ばすのだ。さほど遠くないところにインターチェンジがあるのだが、ここから乗るとやや遠回りになる上に料金が3倍ほど違う。

3_4.jpg

ドライバーはいつもの通りヤツ。車の走りを追求した改造と運転には一家言あるらしく、助手席でビールをあおりツマミのスルメイカをむさぼり喰うボクに毎度同じ講釈を垂れる。ショートボディのクロカン4WDに、アメリカ製の高価なピカピカのアルミホイールと超ヘヴィデューティのワイドタイヤを履き、ステアリングは30φ以下と見える小さなものを付けてある。燃料の噴射系やマフラーもいじってあるらしく、ディーゼル・エンジンとは思えない加速と吹き上がりである。高速道路から狭い山道の悪路までどこでもストレスなく走れる一種のスーパー・カーで、ボクらのような気の短い釣り人には最適の車であった。

ひとつめの県境はまだ市街地続きで、雨とはいえ適度に空いていてそれほどストレスもなく走れたのだが、2つめの県境が近づく頃から怪しくなり始めた。雨足がかなり強くなってきて、土砂降りと言っていいほどの雨量になってきたのだ。さらに、この県境は山越えで10km以上に及ぶだらだらとした登り坂になっていることに加えて、道路の整備があまり良くなく、アスファルトが随分劣化し雨の水はけが悪くて、対向車のヘッドライトが反射してまともにこちらの目を射る。
また、高速道路を回避する長距離トラックの抜け道でもあるこの国道は、平日の夜半ともなれば 登り坂を加速できない10トントラックや大型トレーラーの長蛇の列ができるほどで、彼らがひっきりなしに通ることによるアスファルトの沈下が激しく、道路の表面は見た目にもそれとはっきり分かるほど歪んでひび割れている。その歪みに雨水が溜まり、対向のトラックの大径タイヤが跳ね上げる水しぶきはまるで高波のように、ザザァ〜ンとこちらの車に何度も襲いかかってくるのだ。激しくワイパーを動かし懸命に水しぶきを追い払おうとするものの、マトモにくらうとすぐには視界を回復できない。悪いことは重なるもので、大型トラックの車幅に合わせて刻まれた道路の歪みが、こちらの超ワイドタイヤを拒絶するかのようにタイヤを蹴る。ショートボディでホイルベースが短く、ハンドル操作を誤れば一瞬で対向車線に弾き飛ばされてしまいそうである。いつもは車の運転には余裕綽々のヤツも、さすがに一心不乱に前を見てハンドルにしがみついている。

3_3.jpg

助手席のボクはと言うと、この最悪の状況をハラハラしながら見守っていた、と言いたいところだが、実はここらへんでもう意識朦朧とし始めていたのだ。仕事の後一睡もせずに来ているので疲れきっているのはお互いさまだが、ヤツは運転に集中していて話しかけるのすらためらわれるほどの最悪の状況で、深夜の車内、助手席でボクは避けがたい睡魔に襲われていたのだ。それがついに我慢の限界に達し、
「すまん、もう寝てしまう。このまま目が醒めずにあの世行き、というのだけは勘弁してくれ。ツラかろうが頼むぞ」と一気に言うが早いか、返事を聞くのも待たずに深い眠りへと落ちていった。

目が醒めたときには、いつも立ち寄って休憩する高速道路のサービスエリアの駐車場であった。どうやら生きて難所を抜け、無事に高速道路に乗ることができたらしい。夜明けにはまだ間があるらしく、寝ぼけ眼で周りを見回すと、隣に泥のように眠りこけるヤツのシルエットが闇に沈んでいる。エンジンをかけっぱなしにしているところをみると、息も絶え絶えようやくここまでたどり着いてついに果てたようである。安心して再び体をシートに深く沈め、見るともなしに前を見ると、車のフロントウィンドウには依然として雨つぶがひっきりなしに当たっては砕けている。予想どおりの諦めとほんの少しの落胆が自身の内部に静かに広がっていくのを感じつつ、再び眠りについてしまった。

どれくらいの時間が経ったのか、アクセルを踏み込む音と振動があり、半覚醒で身動きをすると「まあとりあえず見るだけでも見に行こうか」と、ヤツの声がすごく遠くから聞こえるように耳に入ってきた。うう、とうなり声のような生返事をして、車が動き出すのを感じ、しばらくそのままとりとめもなく脳内にわき上がって来る様々な過去の体験を思い出していた。

3_1.jpg

地元では一滴も雨が降っていないのに釣り場に来ると土砂降りの雨でカフェ・オレ色をした濁流が川幅いっぱいに流れるのを、川沿いの道端から脱力感に支配されてただ呆然と仁王立ちで眺めていたこと。それでなくても遡行が大変な、両岸の草木が岸いっぱいにまで張り出した渓を、増水時に必死の思いで一歩一歩辿りながらそれでも毛バリを流せるところがあれば懸命に流しつつ遡行し続けたこと。河原でテントを張って寝ていたら明け方に集中豪雨があり鉄砲水が出て、連れに叩き起こされたときには耳のすぐ下まで水に浸かっていて、「早く起きないと死ぬぞ!」と必死の形相で怒鳴られたこと。自慢ではないが、いつでもどこでも寝ることができ、寝たら最後なかなか起きないのである。雨にまつわる釣りの体験はゴマンとあり、ネガティヴなものばかりではなくて中にはポジティヴなものも少なからずあるのだが、このときに思い出されていたのはネガティヴな記憶ばかりであった。

気が付けばそれらの脳内乱反射を誰に言うともなしに口に出して話していて、ヤツもぼんやりと運転しながら聞くともなしに聞いている風で、ときどき気の抜けた相づちを入れていた。今やボクらの目的は、ただ自分自身の目で渓を確認し、「この濁流では今日はやはり釣りはできないのだ」と肌で感じ納得すること、その一点に絞られていたのだった。

高速道路を降りて市街地を抜けた後、峠をひとつ越えたところの山に刻まれた谷が目指すイワナの渓である。インターチェンジを降りたときに雨足がやや弱くなっているように感じたが、それも一時のものと思ってさほど気にも留めなかった。それが、峠にさしかかってきたときにははっきりと小降りになり、峠を越えると雨は止んだ。
「止んだ、のか?」
「止んだ、かな??」
と口に出して確認し合った直後に、「止んだ」という表現は的を得ていないということに気付いた。道路も一面濡れてはいないし、道ばたの草木までもが濡れていないのだ。突然、ヤツの呼吸が荒くなり車のスピードがグン、と上がった。ボクもシートを起こして座り直し、車窓から見える景色をせわしなく見回していた。すでに夜は明けきり、窓を開けると早朝の冷たく乾いた空気がどっと車内に流れ込んできた。山へ続く道の最後の集落の中を常軌を逸した猛スピードで駆け抜け、一気に山へと駆け登っていく。

巨大なダム湖沿いの道を過ぎたところのインレットの上流部分に橋がかかっており、そこから渓の様子が一目で見渡せる。タイヤから白煙が上がるほどの勢いで急停車し、車外へと転がるようにまろび出て渓を見る。
水位はドンピシャ、平水。濁りもなし。
透明な清水とそれに磨き抜かれた岩々が織り成す美しい渓相が妖しく誘うようであり、よくポストカードになっているような類いの美しい渓流の景色———あまりに出来過ぎていて非常にウソ臭くも見えてしまうほどの———がそこにあった。しばらく無言で見とれていると、目の前をヒラヒラと羽化したばかりのカゲロウが儚げに飛んで行く。視線でカゲロウを追っていくと、澄みきった大気にくっきりと朝の月が浮かび上がっているのが目に飛び込んで来た。

「わはははははははは」突然ヤツが大声で笑い始めた。腹の底からの哄笑だった。
「わはははははははは」ボクも同じく笑い始めた。つられたのではなく何故だか無性に可笑しかったのだ。
大声でふたり笑いながら車に乗り込み、渓沿いの林道を目指す上流のポイントまで走る。途中、抜群の渓相が間近に見える度に、おさまりかけていた哄笑がぶり返してくる。仕事をしていた昨日一日から今日この瞬間に至るまで、思い返せばあまりに馬鹿げた一日であった。

人間とは、ひらひらと風に舞うカゲロウよりも儚く脆い存在である。客観的に見れば相当ヤバい二人組、というところであったろうが、しかしそんな些細なことにはお構いなしに哄笑は止まらないのである。
このどうしようもない、愛すべき非現実感!

「わはははははははははははははははははははははははははははははははははは」
「わはははははははははははははははははははははははははははははははははは」

 
*ブログを始める以前、本体HPに書いていた散文です。2010年1月にブログに転載しました。

 
 


Comments:0

Comment Form
Remember personal info

Trackbacks:1

Trackback URL for this entry
http://blog.studio107.jp/2003/08/302.html/trackback
Listed below are links to weblogs that reference
from 107@BLOG
pingback from 107@BLOG · 京都の梅雨 10-07-08 (木) 16:39

[…] 直射日光に加えて、京都独特のなんともいえないイヤ〜な湿気。梅雨時季の不快さにまつわる話は弊HPの方でも書いたことがあるが、毎年のことながら京都のこの時季は過ごしにくい。 […]

Home > 釣りにまつわるよもやま | 2004年以前の釣り >

Search
RSS Feeds
Meta

Return to page top

Get Adobe Flash player